身体の不自由な方の介護の大変さ
介護の仕事は大変だとよく聞きますが、特に体力の要る排泄・入浴の世話が一番大変です。
体重の軽い人でも自力ではまったく動けない人は重く感じますし、体重の重い人の介護の大変さはやったことのある人にしかわからないほどです。
排泄も入浴も介護される側の羞恥心があるのが厄介な点です。
自分に置き換えて考えてみればよく分かります。
裸を見られたり排泄を手助けしてもらうなど家族でも恥ずかしいのに赤の他人にしてもらうなど耐えられない屈辱です。
介護者は被介護者が羞恥心を感じないよう、できるだけ機械的に作業をするほうがスムーズにいきます。
認知症の人とコミュニケーションを取るのも大変ですが、やはりどちらかと言うと身体の不自由な方の介護は体力がなければ務まりません。
歩くときもしっかりと支えていてあげなければ転んでしまったり倒れ掛かってきたりしますので悪くすれば怪我をさせてしまうことにもなりかねず、責任重大です。
そして何より忘れてはいけないのが介護にかかる費用です。
これは主に家族の負担になるでしょう。
私の親も介護施設ではありませんが要介護の病院に入院させました。
一ヶ月の病院代が20万を超えました。
高額医療で少しは返ってくるとはいえ、大きな負担でした。
介護はきれいごとではできません。
事前の準備も心構えも必要です。
飛躍的な医療の発展で、かつては助かることの難しかった状態でも助かるようになってきました。
でもこの「助かった」という概念には様々な状態があると思いました。
心臓も呼吸も止まってしまった状態から助かり、それから社会復帰するまで回復して助かった人もいれば、心臓も呼吸も止まってしまった状態から助かり、脳の機能が回復しないまま人工呼吸器をつけて意思の疎通が出来ない状態だけれども助かった人もいるのです。
生きていることに最大の価値があると思いますが、その助かり方にはこれだけの差があり、少し複雑な気持ちになりました。
後者の事例では、つきっきりの介護が必要となり、外部からの支援も欠かせない状態です。
いつどうなるかわからないという思いと、いつか良くなるかもしれないという思いが交錯するなかで、どんな時も休みなく介護を続けなければならない介護の大変さは、時に人を追い詰めたり豹変させてしまうことさえあります。
必要なのはいろいろな視点や柔軟な思考と、外部とのとぎれない交流だと思いました。
また、病人がたとえ治らないと言われている病でも、いつかは良くなるかもしれないと思い続ける思いも必要だと思いました。
介護には閉ざすことは厳禁で、いつも風通しをよくしていることが必要だと思いました。